サイトトップサイトトップサイトトップ
corner
マップ
サイトトップ
サイトトップ
選手
用語集
用語集
掲示板
リンク
 
サイトへの
お問い合わせ

left_down_right
left_down
ハスラー列伝 (徳江衛編1)

 

 

徳江衛(とくえまもる)。
1936年生まれ。
ピン倒しのプロ選手である。あっ、まちがえた。スリークッションのプロ選手である。
玉歴55年に及ぶ、まさに「生きた化石」。ありゃりゃ、またまちがえた。「ビリヤード界の生き字引」である。
現在はJR目黒駅にほど近いビリヤード「山手」のオーナーで、わたしは普段「マスター」と呼んでいるが、この稿では世間での愛称に従い「徳さん」で書き進めたいと思う。

 

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

 

大平洋戦争(徳さんは大東亜戦争と呼んでいる)が終わり、徳江少年が疎開先の栃木県から中野区の実家に帰ってみると、東京はあたり一面瓦礫の山だった。
なんにもない。
戦後いち早く復興をめざした新宿界隈ではあったが、それでも遊びといっても、映画とビリヤードくらいしかなかった。
徳さんが初めてビリヤードに行ったのは中学3年のときで、相手は明大中野中学の担任の先生だったそうだ。
種目は四つ球で、なんと「勝負撞き」だったという。
勝負撞きというのは1ゲーム毎にゲーム代を賭けるもので、負けた方が自分のゲーム代はもちろんのこと相手のゲーム代も支払うのだ。
全勝しても自分の金が増えることはないので「賭け玉」とはいえないかもしれないが、まあ「準賭け玉」といったところだろう。
世の中はしなびた。
現在であればこの先生は即刻クビであろう。

 

最近では見かけなくなったが、以前はキャロム台を置く店には「ゲーム取り」と呼ばれる女性がいた。
台の近くにすわって、客の点数を数えるのが仕事だ。
初めて味わうビリヤード場の雰囲気。
玉が当たったときの快感。
しかも当たれば絶妙のタイミングで「当た〜り、ひとつ、スリーモア〜」などとゲーム取りから声が掛かる。その声がまるでウグイスに仁丹を飲ませたような美声で、もうなにもかもが琴線に触れたらしく、徳さんはずっぽりビリヤードにハマった。

 

このころ、3軒のビリヤード店が相次いでオープンした。
玉道(たまみち・東中野)、ミナミ(中野駅前)、ニッカ(五反田)。
オープン記念のエキシビジョンにプロが登場するというので、徳さんは3軒全部に足を運んだそうだ。
はじめて見るプロの玉、チャレンジマッチ、曲球・・・
そのまま飛んでいきそうなくらい舞い上がった徳さんが、プロをつかまえて
「このTシャツにサインしてください。」
とお願いしたのかどうかは、聞き忘れた。



 

 


徳さんは毎日毎日性懲りもなくビリヤードに通っていたが、そのうちに試合に出場したくなってきた。
このあたりは今も昔も変わりないようだ。
ちょうどうまい具合に池袋でスリークッションの試合があるという。
チャンピオン級、A級、B級、C級、D
級の5つの試合があり、それぞれちがう日程でおこなわれるというのでさっそく徳さんはD級戦にエントリーしたのだが、 なにを勘違いしたのかD級戦の受付はすでに終わっていた。
で、しかたなくC級戦に出場することにしたのだが、世の中には不思議なことがあるものであっさり優勝してしまった。
C級戦に優勝したことで自動的にB級戦出場が決まる。
またしても怪奇現象がおきた。
徳さんはB級戦でもどんどん勝ちあがり、とうとう決勝戦にまで駒をすすめてしまったのだ。

 

ビリヤードに限らずすべてのスポーツにおいて「勝負強さ」は大事な要素だ。
ところがこれほどわけのわからないものはない。
どうやら徳さんは生まれつきこの「勝負強さ」を持ち合わせていたように思える。
戦時中徳江少年は疎開していた栃木県のある村で、おとな相手に花札に興じたという。
「床政」こと床屋の政やんには300円貸したままだそうだ。

 

さて決勝戦は大接戦になり、徳さん1モア、相手は2モアになった。
モアというのはMOREで、徳さんは残り1点で上がり、相手は残り2点で上がり、という意味だ。
そして相手の撞き番である。
さすがにB級選手だけあって、次の玉を当てた。これで両者1モアで並んだのだが、ここで異変が起こった。相手の残り玉が、あろうことかタッチボールになったのだ。
ほんの1mmでも離れていれば相当難解な玉になったはずだが、タッチボールの場合は当時のルールでは初球撞き直しだった。
両者1モアなので、当てた方の勝ち。
緊張の一瞬。
そのとき、相手選手は胸十字を切ったという。
そして、当てた。
その瞬間、徳さんの負けである。
徳さんは内心怒り狂った。
1モアの玉がタッチボールになった不運、相手選手の胸十字に対する腹立たしさ。そしてなによりも1モアであがり切れなかった自分への怒り。
怒り狂ったあげく、徳さんは3年間ぷっつりビリヤードをやめてしまった。

 

3年はながい。
その間、家業の乾物屋を手伝ったりしていたが、街を歩いていて前方にビリヤードの看板を発見すると回り道した。
ビリヤード屋の前を通ると必ず覗きこんでしまうだろう。覗いたが最後、絶対に店に入っていってしまうだろう。それを怖れたのだ。
なにもそこまで意地を張らなくてもいいと思うのだが、徳さんは心中期するところがあったのか厳しく自身を戒めた。


             

 

(つづく)

 

 

Copyright(C),Billiard Pocket. All right reserved.

inserted by FC2 system