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ハスラー列伝 (井上淳介編4)


 

一口にビリヤードといってもその種目は多い。
ポケット、スリークッション、スヌーカー、それに加えてかつては四つ玉が主流の時代もあったのだ。さらにポケットのなかにもナインボール、ローテーションや14−1、エイトボールなどのエニー系のものまであり、それぞれに応じて技術と頭脳が要求される。
淳介さんほど「ビリヤード」と名の付く全てのゲームに興味を持った選手はほとんどいないだろう。たとえばポケット選手のなかで探しても、中島啓二は5点制の四つ玉で3万点撞いたし小杉純一はスリークッション30点だったがスヌーカーはやらなかった。
もとより淳介さんは全日本選手権の覇者であり四つ玉の10本選手であったが、50才を過ぎてからスヌーカーに興味を持った。この好奇心の強さが彼の真髄だろう。
しかも興味を持つどころか、1998年の「オリンピックアジア大会代表選考会」に望月雅文とともに出場して見事に日本代表になっている。
更にアジア大会の前に招集された強化合宿にも参加した。
この合宿は朝6:30の起床でメニューにはジョギングや水泳などの体力トレーニングが含まれる厳しいものであったが、20代の選手に混ざっても57才の淳介さんは落伍しなかった。わたしはこの時の彼の年齢までにまだ数年あるが、今の時点でこのメニューに耐えられそうにもない。
花谷勝と井上淳介という「50才限界説」を無視して「60才バリバリ説」に挑んだ師弟を支えたのは、ビリヤードに対する並外れた情熱だったのであろう。

 

これは書くべきかどうか迷ったのだが、書くことにする。
もうずいぶん以前に、淳介さんは角当さんとともに京都のビリヤード店に行き、そこでやくざの親分に声をかけられた。
「14−1を見せてくれ。」
ふたりは顔を見合わせた。
台のまわりは取り囲まれていて断れる雰囲気ではない。失敗したからといって何があるわけでもないだろうが「プロといっても大したことはないな。」と言われるのがなんとしても悔しい。
その中で、角当さんはあっさり80点を撞き切ったという。
「角ちゃんにしても奥村君にしても、球に向かった瞬間にスコンと自分の世界に入る、そういう能力を持っていたと思う。メンタル面の修行もやったにちがいないけれど、どうもビリヤードにはあの能力がどうしても必要な気がするね。」

 

去年の秋以降、わたしは都合3回「吹田中央ビリヤード」に淳介さんを訪ねた。ここは大阪屈指の名門で昔からレベルが高い。
店の奥のソファに座り込んで夜8時から翌朝3時まで、淳介さんは様々の話を聞かせてくれた。
できることなら少しでも若いうちにビリヤードを始めた方がいい。更に将来的には、技術的なことはもちろんのことメンタルや筋トレの研究も進めて組織的なコーチングをする必要があるのではないか。それは69才のオジンとは思えぬ熱い内容だった。
淳介さんは過去に苦い失敗を経験している。オリンピックアジア大会でドーピング検査で失格になったのだ。
彼は持病を抱えており医師の処方する薬を服用していてそれが検査に引っかかったのだ。「認識が甘かった。」と彼は言うが、しかし日本ビリヤード界にドーピングの知識のある人が何人いることであろう。
いい経験も悪い経験も含めて、彼の経験は将来の日本ビリヤードにとって大きな財産になるとわたしは信じている。

 

最近になって淳介さんはスリークッションに凝り、週に何度か佐野さんのところに通っているそうだ。それも時間つぶしなどではなく、1点でも持ち点を上げようと大いに燃えている。
一体このパワーはどこから湧いてくるのか知りたいものだが、自分の職業に対してここまで真摯に取り組んだ人はそう多くはあるまい。
取材の折に「ちょっと撞きましょうよ。」と誘うと1本のキューを貸してくれたのだが、このキューが気に入ったわたしはしつこくおねだりして先日ついに譲ってもらった。
今のわたしにとってキューは健康器具以外の何者でもないが、大事に使わせてもらおうと思っている。




(おわり)



 
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