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ハスラー列伝(抹消された男3)

 

沖田というのがいる。
この男はたいへんな勝負師で、勝負に負けたら車でも家でも売ってやるわい、という云わば「鉄火場の根性」を持っていた傑物だが、ある時これがIを挑発した。
「100円のジャパンなんかやっていてもキリがない。1000円でやろうや。」
彼もローテーションのマスワリくらいはやってのける腕前だったがIには及ぶべくもなく、ジャパンではオールボールのハンデを貰っていた。
一応説明を加えると、呉のジャパンは1番も点球で5番と9番がダブルだったのでオールボールで全部入れれば最低でも1マスで11点、マスワリであれば倍の22点になる。このころわたしが住んでいたアパートの家賃が月額6000円だったことを思えば、かなりのレートである。
普段の10倍のレートを要求されたとき、大きく分けてふたつのタイプがあると思う。「勝てば10倍稼げる」と考えるタイプと「負けたら10倍損する」と考えるふたつのタイプだ。無論これは表裏一体で現実には目の前の球を撞く以外にないのだが、Iはこれに痺れた。
あれほど見事な球を撞いていた彼が、レートアップした途端に気の毒になるほどダメになったのだ。それはまさに別人だった。
わたしもずいぶん多くの人を見てきたが、金に対してこれほどまでに弱い人を見たことがない。先に書いたように、この男は270万の他人の金を持って競艇に行き午前中だけでスッテンテンになった男である。これほど大胆な男が、自分の金が賭かるとなるとさっぱりだった。
他人の金には大胆でも、自分の金には律儀だったのだろう。
結局のところ彼はスポンサーの飼い犬でいるしかなかった。自分の金では勝負できない上に営業活動がままならない。「勝てば金持ち負ければ夜逃げ」、これでは対戦相手はたまったものではないからだ。
なぜプロにならなかったのか、という質問には答えるまでもないだろう。こういう人種を迎え入れてくれるプロ組織は、ビリヤードに限らず日本にはない。実際彼は何度かプロテストの申し込みもしたようだが、書類審査で門前払いにされている。彼の履歴書を見れば門前払いは当然であるし、それこそは日本ビリヤード界の良心であっただろう。
所詮彼は「舞台裏のスター」だった。

 

かつては囲碁や将棋の世界にも賭けで暮らしている人がいた。「懸賞打ち」「真剣師」と呼ばれる人たちだ。
中学生のころ、わたしは囲碁の本で江戸時代の賭け碁打ちたちの話を読んだことがある。「大田雄蔵」や「淡路の米蔵」といった名前を知ったのもこのころだったにちがいないが、囲碁の腕前ひとつを頼りに全国を放浪する姿に、こういうのを「男のロマン」と呼ぶのかどうかわからないけれども、つよく憧れた。
だが、この種の人たちが生きることができたのは、おそらく1970年代あたりが最後だっただろう。近年までプロの領域を脅かすほどの真剣師もいて実際彼らは途方もなく強かったが、その多くは
最期は野垂れ死に同然だった。芸の値打ちが暴落した現在の日本に、彼らが生きていける土壌はない。
わたしは淡路の米蔵とIとを重ねていたのかも知れない。
花に例えるとすれば、彼らは決して世の中に受け入れられることのない陰花であったが、たったひとつの才能だけをぶら下げて命を削るように勝負の世界に生きる姿はひどく刹那的で、けれどもわたしは陰花の美しさに見とれていた。

 

「負けても何も失わない真剣勝負ってなんじゃ。そんなウソっぱちがあるか。ちゃんちゃらおかしいわい。負けたら首が飛ぶのが真剣勝負よ、違うか?」
そう豪語していた彼が、じつは誰よりも自分の首の飛ぶことを恐れ自分の金を失うことを恐れていたのは皮肉だが、目の前の金に眩んでビリヤード人生そのものを失ったことはもっと大きな皮肉だっただろう。あれほどの腕に至るまでに大変な努力をしたであろうに、一世一代の晴れ舞台を自らのビリヤード人生の墓場にしてしまった時、ああまさに天国から地獄、彼はどんなことを思っただろう。
Iが現在どこでどんな暮らしをしているのかわたしは知らないが、どうせロクな人生ではなかったにちがいない。
いまさら彼に会いたいとは思わないが、いつものように球屋に行きいつものように撞いているとき、ふとIが隣の台で例の「馬車引き」をやり、うまくいくとこちらに向かってにたりと笑ってみせる。
そういう錯覚に捉われるのもどうしようもない事実なのだ。

 

(おわり)



 
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