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ハスラー列伝 (蔵之前忠勝編2)

 


 

蔵之前さんは元近畿大学空手部主将である。
近大空手部の練習というのは拷問のようなもので、例えば「金比羅さん合宿」というのがあって、これなどは785段もある香川県の「金比羅さん」の階段をウサギ跳びで昇るのだ。
同期の新入部員70名は一人去り二人去り集団脱走もあって、最後まで残ったのはたったの7人だったそうだ。
この時に培った基礎体力は、後に大きく物を言うことになる。
社会人2年目のある日、仲間と連れ立ってビリヤードに行ったとき他の客から声をかけられた。
「今度ミナミで試合がある。いっしょに行ってみないか。」
会場は森口信幸氏(日本プロポケットビリヤード連盟初代会長)の「坂町ビリヤード」。
これが蔵之前さんの運命を決めた。

 

どれが1番か2番かもわからない彼は無論試合に出たわけではないが、あるひとりの選手に見とれていた。
その人は色白で日本人離れした彫りの深い顔立ち、サウスポーで撞く姿は試合会場の中でも一際輝いていたのだ。
「うーむ。ビリヤードってのはカッコいいもんだな。」
映画「道頓堀川」のモデルになったこの人は数年後には逆に蔵之前さんの球に惚れ込み、その後ふたりの付き合いは長く続いたが、それだけですめば彼がそれほどビリヤードにのめり込むことはなかっただろう。
決定的だったのは、試合後ジャパンに誘われたことにある。
どの球が何番かも知らない初心者が初対面の人とジャパンを撞くというのは相当無謀であるが、対戦相手に教わりながら撞いてなぜか蔵之前さんは勝った。
喜んだ彼は翌日も行き、また勝った。
これが蔵之前忠勝のビリヤード人生の始まりである。
少しばかりの金を手にした彼は思った。ビリヤードが強くなればいくらでも稼げるではないか、と。

 

ここで「賭け球」について少し触れておかねばなるまい。
少なくとも30年前はビリヤード=ギャンブルだった。現在のマージャンのようなもので、何も賭けずにマージャンをやる人をわたしは知らないが、ビリヤードも同じ感覚だった。
一口に「賭け球」といっても10円玉の賭けもあれば生活のための賭けもある。
40年近く前、ゲーム代が1時間180円の時代に1点200円のジャパンとなれば、これは高いレートといっていいだろう。
こういう高額レートのビリヤードには大きな弊害がある。それは、だれも球を教えてくれないということだ。
教えたら損する。
それは師匠の森口氏にしても同じことで、引き球の撞き方を聞いても「下を撞け。」としか言わない。
結局「見て覚える」しかないので、現在と比べると上達のスピードは極端に遅かった。
「センター初球を引いて手前にスクラッチさせる。わたしはこれをできるのに1年かかりました。」
ある時わたしが言うと、意外にも蔵之前さんは褒めてくれた。
「1年とはすごい。わたしは3年かかりましたよ。」

 


左:わたしの手 右:蔵之前さんの手 大きい!!


引きもヒネリも知らない選手が毎日高額の賭け球を続けたとは呆れた話だが、蔵之前さんは「入れ」だけで戦い、しかもまあまあの勝率だった。
だが、賭け球の世界はそんなに甘いものではない。
やがて来るときが来た。コンビを組まれたのだ。
5人ジャパンで4人に組まれたら、よほどの実力差がなければ勝てるものではない。
4人のうち3人はどんどん入れる。標的の前の順番の人は狙ったフリをしてセーフティー。これなどは昔からある手口だが、不幸なことに蔵之前さんはこんな子供だましの手口すら知らなかった。
案の定、その日から負けっ放しの日々が始まった。
「クッションばかり撞かされましてね。一晩中やってまともな球は数えるほどしかない。どうにもなりませんでした。」
だが、これが逆に彼を奮いたたせた。
なんといっても元近大空手部主将。子供のころから身体を使うゲームでほとんど負けたことがなかった。ところがビリヤードだけは思ったようにならない。
くる日もくる日も練習に明け暮れた。
この当時の彼の練習風景は、それだけでひとつの伝説と呼んでいいだろう。
ゲーム代が1万円以上になることもたびたびあった。ただしゲーム代が1時間180円の時代である。

 

少しだけ技術的なことも書いておこう。
蔵之前ビリヤードのグリップの急所は右手の薬指にある。
指の中で一番不器用なのが薬指なのでこの指を意識するストロークがよく、他の指は器用なので勝手に動いたりして却って具合が悪いのだそうだ。
撞く前に「厚みOK」「撞点OK」とチェックする。そしてバックスイングで「薬指OK」。「バックスイングOK」ではなく「薬指OK」。これが蔵之前式グリップの要点ということだ。
この3つがしっくりいって初めて撞く。
あと、これは一種の曲球としか見えないが、彼はキュー先を手球から10センチくらい離して、そのままの状態からバックスイングなしで押したり引いたりすることができる。しかもそれは「押しのカーブ」「引きのカーブ」が出るほどの強力なものだ。
この部分についてはいずれ詳しく書かねばなるまいが、従来のストロークでは絶対にできない。肘を落とすタイミングが命なのだが、このあたりが蔵之前ビリヤードの真髄だろう。

 

わたしは以前、数々の蔵之前伝説を耳にしていた。
その中のひとつに、「レール際の薄い球をズドンと撞いたらキューがクッションに突き刺さった」というのがある。
本人に聞いたところ「そりゃウソですよ。」とのことだったが、こういうデマが流れるくらい蔵之前さんのストロークは鋭かったし、今でもわたしは彼との対戦で風を感じることがある。
コンビ撞きの餌食になり一時は絶望的な借金をかかえたが、数年後に賭け球で全てを清算したころには押しも押されもしない「坂町ビリヤード」の最強選手になっていた。
ビリヤードを始めて6年後のことである。

 

正真正銘の蔵之前伝説はここから始まる。

 

(つづく)


 
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