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ハスラー列伝 (井上淳介編3)


左からパリカ、ルアット、井上淳介、ブスタマンテ

 

淳介さんはアメリカやヨーロッパにまで武者修行に出かけたが、渡航回数が圧倒的に多かったのは台湾でありフィリピンであった。海外の球事情はそれぞれ日本とは異なっており、そこから学ぶことはじつに多かったのだ。
当時の台湾の第一人者は趙豊邦だったがそれ以外はまだまだ層が薄いのか淳介さんは試合になると趙豊邦と当たることが多かった。
一般的に日本はマナーがいいが、外国ではそうはいかない。淳介さんが失敗すると会場は拍手喝采、難球を入れれば大ブーイングである。
「最初は驚きました。どうなってんだ、ってね。まあ何事も経験でしょうけど、ただ、こういうのに参っているようでは海外ではキツいかもしれませんね。」
このあたりの事情については彼以外からもいろいろな話を聞いたことがあるが、フィリピンに行った知人の場合は撞く直前に観客に目の前でベロベロバーをされたそうだ。フィリピンの場合は観客同士が賭けをしているので、妨害工作もより熱を帯びてくるのだろう。

 

さてそのフィリピンだが、この国ほど淳介さんのビリヤード観に影響を与えた国はなかったであろう。
85年ころ私はフィリピンにビリヤードがあることすら知らなかったが、その時分には彼はすでにフィリピンビリヤードの強さやたくましさを見抜いていた。
淳介さんはパリカやレイズとよく撞いたが、種目はナインボール10先、ローテーション61点先取の5先、14−1の100点ゲームなど多岐に及んだ。
あるとき5〜6個のバラ球を取り切る練習をしていた彼は厄介な事態に直面する。わずか5〜6個の球が取り切れないのだ。
原因はすぐにわかった。強い球は問題ないのだが、弱い球を撞くと先球が曲がるではないか。
台の掃除が悪いのか台そのものが傾いているのかわからないが、そもそもビリヤードは球がまっすぐに転がることを前提にしているのだからこれではどうにもならない。
淳介さんはレイズに苦情を言った。
「これじゃゲームにならんぞ。」
だがその返事は意外なものだった。
「そんな弱い球じゃ曲がっても仕方ない。曲がらない球を撞けばいいんだよ。」


左から大橋清孝、戸田孝、井上淳介、小杉純一、太田紘治



「曲がらない球」とは何であるか。
マッセやカーブなどの曲がる球の練習は散々やったが、曲がらない球については練習どころか考えたこともなかった。
80年代後半になって初めてフィリピンを訪れた小杉純一もコンディションの厳しさを味わったひとりである。
ひとりで練習していた彼は対戦を申し込まれる。ところが相手が指定する台に行ってみると、これが氷の上で撞いているかのようにゴロリゴロリとどこまでも転がるのだ。ちょっと経験したことのない速さである。
四苦八苦してようやくゲームを終えたと思ったら次の相手が待っているのだが、そちらの台に行ってみると今度は毛布の上で撞いているかのようにまるで転がらない。
台のコンディションを掴むころには2〜3セットくらいは先行されてしまっているのだから大変なハンデである。
しかも例によって球が曲がる。さらに小杉が行った店にはクーラーもなく、台の横では扇風機が回っていた。

 

これがたとえば私だったら腹を立てて帰っただろう。「こんな腐った店で撞けるか。」と。
だが一流選手の考え方は違っていた。どんなコンディションの台にも対応できなければ世界とは戦えない、と考えたのである。少なくともフィリピンでは通用しない。ビリヤードが台との戦いである以上、台の癖をつかむ能力を磨くことはより早くゲームの主導権を握ることにも繋がる。
わざとクーラーを切り窓を開けて練習するのもひとつの方法だろうが、淳介さんは更にラシャに拘った。
彼は店の1台を練習専用に仕立て、その台のラシャを様々に張替えたのだ。数種類のラシャの表裏、スリークッション用、挙句にスヌーカーの裏ラシャまで使った。スヌーカーの裏は転がらない。しかも緩く張ったりきつく張ったりした。
カッコよく言えば「アジャストのスピード」。それを求めたのである。
一方自分の店を持たない小杉の場合は、どんなコンディションにも対応できる全天候型のストロークを研究した。
それらが実戦においてどれほどの効果があったのか知らないが、ほんのわずかでも向上できると信じたとき、彼らは一切の努力を惜しまなかった。
淳介さんも小杉も先行逃げ切り型だったことを思えば、なにがしかの成果はあったのだろうと思える。
数年前、わたしはラルフ・スーケーに質問したことがある。
「世界で一番強いのはだれだと思うか?」
彼は間髪を入れずに答えた。
「エフレン・レイズです。彼は世界中で彼にしかできないショットをいくつも持っている。それらはフィリピンの厳しい環境の中から生まれたものだ。彼のようなタイプの選手がフィリピン以外の国から誕生する可能性はないと思う。」

(つづく)



 
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