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ハスラー列伝 (BOSS編7)

 

 

エフレン・レイズ。
フィリピンが生んだこのスーパースタープレイヤーは、「神の球」とも呼ぶべきその高度な技術だけでなく、同時に世界中のプレイヤーに有形無形の影響を与えたといわれる。
だがここに、ただ影響を受けるだけではなくその技術を丸ごと盗んでしまえないものか、と考える男がいた。
それが小杉純一だった。
しかし現実問題として、 「マジシャン」と呼ばれるエフレン・レイズの球を盗むなどということができるのだろうか。

 

エフレン・レイズとともにアメリカツアーに参戦した小杉は約半年後に日本に帰ってきたが、渡米以前と比べてかれのビリヤードはあきらかに変化していた。
「前なんです。前で撞かなければ駄目なんです。世界の舞台に出てくる選手はみんなそうです。後ろで撞く球は過去のものだと思います。」
ストロークは前に向かって長く出すべきだ、というような意味だろう。
国内最高クラスに位置する選手が、最も基本的で最も危険な「ストロークの改造」に着手したのである。
小杉は狂ったように撞き続けた。

 

小杉がエフレン・レイズを尋ねてフィリピンに行く回数は目に見えて増えていった。
ちょうどその頃、 わたしは朝まで一緒に撞いた挙げ句、大阪中央市場の一膳めし屋にかれを誘った。
「フィリピンはどうだ。」
「ブスタマンテとはいい勝負だと思います。対戦成績でも勝ち越しているはずです。」
「ブレイクダンス」と呼ばれるほどの超人的なパワーブレイクで知られるブスタマンテは一時ドイツに住んでいたが、当時ドイツ国内の試合に出場して連戦連勝を続け、あまりにも勝ち過ぎたため大会主催者側からウソの試合会場や日程を教えられる等のいやがらせを受けながらも、ようやく全盛期を迎えようとしていた。
この当時、ブレイクで手球が1番にヒットするまでの所要時間が0.2秒を切るのは至難といわれた時代に、ブスタマンテは驚異的な0.16秒を計測していたのである。
ローテーションに「ワンラックゲーム」というのがある。
ローテーションゲームで使用する1番から15番までを足すと120点なので、同ハンデの場合であれば60対60での対戦になるのだが、この頃エフレン・レイズとブスタマンテのハンデは73対47だった。
エフレン・レイズの強さはそれほど傑出していた。

 

「 エフレンはどうだ。」
わたしは核心に触れた。
小杉は食事を摂りながらしばらく考え込んでいたが、
「 エフレンの球は、一部わからないところがあります。」
と答えた。
要するに、歯が立たなかったのだろう。
「何度かフィリピンに行って感じたことがあります。」
突然かれは喋りはじめた。
「たまにフィリピンに行って撞くことはものすごく勉強になります。でも・・・このままではエフレンとの差が縮まる気がしない。かれに追いつくためには、これはもうフィリピンに住んで朝から晩まで同じ環境で暮らし、撞くしかないと思うんです。」
聞けばエフレン・レイズにはすでに打診し、当面はオレの家に住めばいい、という返事までもらっているという。
日本にいればトッププロとして応援してくれる人たちもいる。何の不自由もないと思うのだが、それらすべてを投げ打ってフィリピンに行くというのだ。そしてそれは、日本のプロ協会からの脱会をも意味していた。
なんという男だろう。
エフレン・レイズに追いつけるのかどうか、そんなことはわたしにはわからぬ。ただ、その果てしない向上心にわたしは言葉を失った。

 

 

一膳めし屋から15年ちかく経つ。
それ以来、わたしは小杉と会っていない。
風の噂によると最近ではインドネシアのナショナルチームのコーチを務め、国籍までも取得したのか何やらへんてこな名前でアジアツアーなどに出場しているらしい。
まあいい。
どこへ行こうが名前が変わろうが 、わたしのなかの小杉純一はなにも変わることはない。

 

この稿も終わりに近付いたようだ。
すでに中島啓二も桧山春義も幽明を隔て、小杉は外国人になった。
そしてその間に、わたし自身の気力も視力もずいぶん衰えた。
もともとわたしの球などは語るほどのものではないが、それでも以前は「商売道具」と豪語していたキューが今では「スポーツ用品」になり下がった。そのうちに「健康器具」と呼ばれる日がくることも確実だろう。
わたしが初めてビリヤード店に足を踏み入れてから約30年が経つ。
その間にはさまざまな出会いがあった。
桜本守先生、五十嵐雍治先生、田中忍ちゃん、長谷川さん、淳介さん、片やん、克っちゃん、大江、さんちゃん、邦やん・・・
指折り数えてもきりがないが、かれらのショットのいくつかは今でも鮮明におぼえているし、たまに夢にまで登場してくるほどのものだ。
長谷川プロに教わったショットなどは、わたしは勝手に「長谷川スペシャル」と命名して今でも愛用させてもらっている。
かれらは例外なく強烈な個性の持ち主であり、なによりも輝いていた。

 

わたしには夢がある。
いずれC級プレイヤーにまで転落したころ、古いメンバーが集まって「見えんなぁ、入らんなぁ。」などとぼやきながら撞く日がくるとすれば、わたしは何としてもそのときまで頑張らねばならん。
A級とはいわないが 頑張ってなんとかB級に踏み止まり、そしてわたしは、勝つ。
そういえば吉永氏は
「いつか小杉のスポンサーになって二人で賭け球の旅などをしてみたいものだ。おもしろそうだと思わないか。」
と言っていたが、あの夢はどうなったのだろうか。
今度広島に帰ったときに聞いてみよう。

 

ビリヤードの魅力とは? と聞かれていい言葉は見つからないが、
あなたにとってビリヤードとは? と問われれば、わたしは胸を張って答えることができる。

「ビリヤードは、ささやかなわたしの人生に彩りをあたえてくれる一輪の花である。」と。

最後はキザにキメてみた。 

 

   

 

(おわり)

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