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ハスラー列伝 (BOSS編6)

 

 


「世界一強い選手はだれだと思うか?」
数年前わたしはラルフ・スーケーとの会談のなかで聞いたことがある。
かれ自身「皇帝」の異名を誇る世界ランカーであり、わたしもずいぶん失礼な質問をしたものだが、かれは間髪を入れずに答えた。
「エフレン・レイズです。」
「エフレン・レイズのどこが優れていると思うか?」
さらに追求してみた。
「エフレン・レイズは、世界中でかれにしかできないショットをいくつも持っている。それらのショットはフィリピンの厳しいコンディションの中から生まれてきたのだと思う。かれのようなタイプの選手がフィリピン以外の国から出てくる可能性は非常に低い。」

 

やや脱線するが、ラルフ・スーケーの言う「フィリピンの厳しいコンディション」についてすこしだけ触れてみたい。

1990年頃、「五番街」で働く若手のなかに湯山というのがいて、これが小杉に心酔していた。
わたしが知るかぎり、小杉の唯一の弟子といっていいだろう。
吉永氏と小杉がエフレン・レイズに招かれてフィリピンに行くとき、ふたりにせがんで湯山も同行させてもらうことになった。
フィリピンに到着してある村を散策していると、公設市場の片隅になぜかぽつんと一台のビリヤード台が置いてあるのを見つけた。
さっそく、ちょっとやろう、ということになった。
お断りしておくが、湯山はけっして弱い選手ではない。
弱いどころかアマチュア時代には球聖西日本代表になり、その後プロ入りしたほどの男だ(現JPBA)。当時でもかなりの強豪で自信満々だったと思われる。
最初の相手はエフレンの運転手。
手も足も出ずこてんぱんに負けた。
次の相手はどうしたわけかパンツ一丁でブラブラしている村のおっさんだった。
またしても負けた。
最後の相手などは、足を痛めているのか酔っ払っているのかまっすぐに歩けなかったそうだ。
そしてこの人にも負けた。
結局この日は1勝もできなかった。

 

湯山は底知れぬ脱力感とともにすごすごと引き上げたという。
吹く風は生ぬるかったことだろう。

 

 


湯山がなぜ負けたのか、かれの名誉のためにも原因をあきらかにしておきたい。
原因ははっきりしている。
台のせいである。
そもそもこの台を置いている場所は地面がゆるい坂になっていた。水平な場所に置けばいいと思うのだが、市場のなかで他にビリヤード台を置く場所がなかったのだろう。
坂の途中にそのまま置いたのではビリヤードにならないので、低い方の台の足の下にブロックを噛ませて一応「水平」ということにしていたが、本当に水平なのかどうか知れたものではない。
というか、湯山の証言によると台は傾いていた。

 

さて、この環境で球を撞くとどうなるのだろう。
まずはフォームである。
坂の下側から撞くときは当然背伸びをしなければいけないし、逆に上側から撞くときは前屈姿勢でお辞儀をしたような格好になる。坂の途中からのショットは、ゴルフでいう「右足下がり」や「左足下がり」になるわけで、まともなフォームで撞ける場所は、ない。
次に球そのものの動きであるが、なんといっても台が傾いている。
みなさんは「センター初球」で「手球を50センチ押せ」と言われたらどういう風に撞かれるだろう。
たぶん弱めのショットで先球をコーナーにトロトロッと入れ、手球もトロトロッと50センチ前に転がる、こういう感じが多いのではないだろうか。
だが少なくとも、公設市場の台ではその球は通用しない。
なぜかというと、傾いた台の上でゆるい球を撞いたのでは球が曲がるので先球が入らないからだ。
ではどうすればいいのか、というと、強いショットでズドンと入れるしかない。
球が曲がる前に入れてしまうというわけだ。
手球のコントロールは撞点で調整するのみである。
無論湯山がこのショットをできないわけではないが、日本ではそれほど使用しない球なのでどうしても精度が落ちる。

 

キューを信用できないビリヤードもけっこう疲れるが、台を信用できないビリヤードなどは考えただけで具合が悪くなる。
陸上競技の選手が「コースに落とし穴を掘られていたらどうしよう。」などと心配しながら走っているようなものだ。
しかも場所が公設市場なので、たまに牛を曳いたおばさんが通りかかる。
市場のなかではビリヤードよりも牛の方が偉いのであるから、牛が通り過ぎる間は通路をあけてビリヤードは一時中断である。
まったく集中できない。
村の人たちはこうした環境に慣れている上、最もまずいことに台の癖を知り尽していた。

 

 

プライドがねじ曲がるくらい傷ついた湯山だったが、それでも三日間この市場に通いつめた。
あっぱれ湯山の面目躍如と喝采を送りたいほどの根性であるが、残念ながらついにかれは1勝もできなかった。
三日目になると
「日本からヘタッピがやってきて小遣いをばらまいているそうだ。」と村中の評判になり、大勢の見物客があつまってきたという。
そのうちに対戦を希望する村人たちの順番待ちの行列ができ始め、ほとんど心神喪失状態の湯山が傾いた台の向こうに見たのは、行列のうしろのほうで、まだか、まだかと待ち続ける小学生くらいの子供の姿だった。

 

 

 (つづく)

 


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